駅から離れた場所に建てられたこの学園は、丘の上に建てられている所為もあって何とも長閑な雰囲気の場所にある。
徒歩で30分は歩く通学路には、丘だけに傾斜も勿論待っている。
真吾が利便の良くないこの学園を選んだ理由は、聞かずもがな――中学時代の同級生と一緒になりたくないから――である。
理沙の所を出ると、午後5時を30分ほど過ぎていた。
これから30分の距離を歩くのかと思うと、少し憂鬱だ。
「また今日もアニメ時間に間に合わないな。あーあ……」
真吾は小声で独りごちた。
夢の内容に美里との事を添付させ、理沙に話して聞かせてきた。
理沙は現実を見るべき学者畑に寄った人間だが、真吾の胡乱な話を躊躇いもなく信用してくれた。恐らくその背景には、堕児の解剖結果も絡んでいるのだ。
それが真吾の語る内容を裏付け、理沙の信用へと繋げたのかもしれなかった。
堕児の内臓器官からは、血液以外に3種の液体が採取された。
食道から直結した器官――胃と思しき器官からは精液が採取されたが、恐らく自分のものだ。
精液が堕児の糧だという、夢の内容がまた一つ現実世界で実証された。
尾の内部には、管状の器官が通っている。尾の先は注射針のようになっており、そこから排出できる仕組みになっているようだ。
堕児の死骸の外見からは、注射針など目視できなかった。恐らく猫の爪のように必要な時にだけ、内から出せる仕組みになっているのではと理沙は推察した。
尾の管と繋がっている内蔵器官から発見された液は、理沙が気にかけていた催淫効果を促すらしい液体だった。
簡単なマウス実験を行った結果、雌だけに興奮効果が発揮された。
詳しい成分だとか、更に細かい実験の結果には日が必要らしいが、検査結果を待たずして得られた実験結果が一つあったらしい。
液には睡眠を促す効果もある事が、偶然発見できた。
マウスの小さな身体には、どうやら効き目が強すぎたようなのだ。催淫液を注射した雌は、興奮状態に陥った後、深い睡眠状態となった。
脳波形をそのうち調べてみたいな……と、理沙は呟いた。
無茶苦茶な、学校に機材を持ち込むつもりか。それに協力してくれる被験者がいないと、無理なのでは……。
ただでさえ救助の方法が疾しい真吾としては、無闇に人を巻き込みたくないのが本音だ。理沙が協力してくれるのは有り難いが、妙な実験に生徒を巻き込まなければいいけど……と、真吾は不安になった。
安心はできないと思う。何せ、澤井先生だからな……。
3つ目の液は検査の結果が着てからでないと、何であるかも判明しないようだ。
マウスに注入しても変化は見られず、餌に混ぜて与えたりもしたらしいが――何も変化は起きなかったようだ。
そして堕児にメスを入れて次の日――今日だが、奇怪な事が起きた。
解剖した堕児の遺骸が、溶けて赤黒い液体に変化してしまったのだ。採取した液体の方は特に変化は起こらなかったが、切り刻まれた遺骸の方は水分へと変貌を遂げた。
夢の内容の通りの正体なのであれば、元から実体などあって無いようなものだ。元々からこの世のものではない……何が起こっても、特に不思議はない。
「だいぶ遅くなっちゃったな……」
駅に着くと、既に6時を回っていた。
一年以上も通っている学校ではあるが、矢張りこの距離は疲れる。運動不足の解消には良いが、この上に運動部なんて良くやるなぁと真吾は思う。
駅構内は帰宅のピーク一歩手前の時間の為か、やや混雑していた。その殆どは会社帰りの社会人だが、大学生やうちの学園の生徒の姿もチラホラ見える。
階段に差し掛かると、目の前に美しく長い黒髪が視界に映った。
3段ほど上を歩くその黒髪は記憶に新しい。
「――危ない!」
学校の制服に身を包んだ少女の背中が、長い黒髪を靡かせて真っ直ぐ真吾の方へと落ちて来る。胸にすっぽりと収まるくらいに華奢な体躯を、真吾は当然のように抱き止めた。
抱き止めた後で、ホッとするように真吾は息を吐いた。
後先を考えずに思わず抱き止めたけど、後ろに倒れなくて良かったなと。彼女が軽くて助かった。体勢が僅かにグラついたが倒れる事はなかった。
抱き止めた瞬間に、手が少女の身体の下腹部に偶然に当たる。
フワリと黒い靄が、視界に映った。
この子……堕児に憑かれてるのか!?
その手をすぐに引っ込めた。靄の存在は自分と、犯す相手にだけ見えれば良い。無関係な人間にまで見られたら、無用な騒ぎになってしまう。
まさかこんな所で……戸惑いを少なからず感じたが、真吾はすぐに平静を装うと、腕の中の少女に視線を移した。
腕の中の少女が、向けられた顔に気づいて驚きを露にする。彼女の顔に、恥ずかしさ以外で理解できる感情を見たのは、はじめてだなと真吾は思った。
少女は焦ったように腕の中で慌て、そして今にも顔から湯気が立ちそうなほど、見る見るうちに頬が染まっていく。
腕の中にいたのは、恥ずかしがる仕草が可愛いクラスメイトの女の子。
「大崎さん大丈夫?」
今も慌てている胸の中の大崎美奈に、真吾は微笑みかけた。
彼女の表情はあの前髪で良くわからないが、焦っているのは見ればわかる。
「あ――あり……ありがと」
「立てる?」
頷く美奈を、真吾は地面にそっと降ろした――が、足が着いた途端に美奈の身体がよろっと崩れかけてしまう。
「――おっと……」
真吾に抱き支えられて、美奈は再び真吾の腕の中に逆戻りとなった。
「ご……ごめんなさ――」
焦った美奈は、急いで離れようとしているのかジタバタともがく。しかし矢張りふらつくのか、腕の中でよろめきかけた。
美奈の様子をじっくり見ると、息も荒いし発汗も催している。真吾の見立てでは、もうそろそろ立っているのも辛くなる頃合の一歩手前というところだ。
「何かフラフラしてるね。発汗もあるし、体調が悪そうだよ?」
「だっ……大丈……夫」
「全然大丈夫じゃないじゃん。まったく……家はどこ?」
言葉に詰まったように戸惑うと、美奈は俯いてしまった。
本当に彼女が相手だと話が進まないな……昨日の朝に抱いた懸念の通りだと、真吾は溜息をついた。
「僕が家まで送るよ。家はどこなの?」
「そ――そんな……悪いし……」
「そんな状態の大崎さんを、放って帰れる訳がないだろ?」
と言うと、フッと一瞬顔を上げる美奈。
しかしすぐに再び恥ずかしそうに俯く――いったい何なんだ。
「だって……迷惑だもの……」
「別に……全然迷惑じゃないよ」
見つめる真吾を美奈は、刹那の間ボーっと見つめ――また俯いてしまった。本当に何なんだよ。
美奈は友人ともこんな感じなのか?
少し強引に進めないと、気づいたら30分経ってました――なんて事にもなりかねないのでは……。
「悪いとか迷惑とか考えなくていいからさ――僕に、君を送らせてくれない?」
僅かにこちらを見上げて、覗き込むように見ている美奈。
心を隠すような彼女の長い前髪が、表情を覆い隠してイマイチ読み取れない。だが迷惑に感じていなさそうな隠微な空気は、そこはかとなく真吾にも汲み取れた。
やれやれと心の中で真吾はボヤいた。感情の起伏どころか、表情からも解読できない女の子との会話は難解だな……と。
「……どうして?何でそんなに優しく……」
「どうしてって……当たり前だと思うんだけど。こんな状態で遭遇したクラスメイトを、放って帰れる方がどうかしてる」
彼女の帰りの道中を心配する気持ちは、建前ではない。事情云々が無かったとしても、放っては置かなかったと思う。
真吾は元から関わってしまった事を放って置けない性質だが、今回はそれ以上に気にするべき問題――堕児の存在がある。
美奈が寄生されている事実を知った以上は、放置できないという真吾の事情。
送り狼みたいで気が咎めるが、美奈の状態はもう予断を許さない状況にある。どこでどうするかが完全にノープランだが、途中で考えるしかない。
美奈は僅かに唇を綻ばせた。
「……うん――そうだね。滝川くんて、そういう人だよね……」
気づかない程に薄っすらとした微笑みが零した呟きは、どことなく過去に思いを馳せるような懐かしさを響かせていた。
だが美奈の声は、帰宅で賑わう駅の雑踏に紛れて真吾には聞こえない。
「ん――何か言った?」
真吾はニコッと、美奈に微笑みかけた。
スケッチブックを口に当てて美奈は、首をフルフルと振る。
その様子が不思議で、真吾は小首を少し傾げた。
何か言ってたと思うのにな……真吾の心には彼女の、柔らかい微笑みの謎だけが残された。
「そろそろ立ってるのも苦痛だろ?」
「で……でも……」
「いーから気にしない!行こ?」
美奈の肩を抱き寄せてやると、腕の中で美奈の身体がピョンと僅かに跳ねた。美奈の思惟を読む事はできないが、このリアクションは理解し易い。
擬音にすれば恐らくドキッだろうか……?
人目のある場所での密着の心苦しさに斟酌すると、真吾は少し強引に彼女の荷物を受け取る。
真吾は美奈に向けてニコリと口角を上げた。
「僕にくっつかれるのは嫌だろうけど……送るまでの間だからさ」
美奈はフルフルと首を振った。必死さを漂わせる慌しい振盪に、首は平気なのかと変な心配をする。
嫌ではない……そう思って良いのかな。これからする事を思えば、そうであってくれると嬉しいんだけど……と、真吾は思った。
小さな細い肩を支えながら、美奈を連れて真吾は電車に向かった。
◇
小説家になろう・ノクターンノベルズでも連載中です◇
◆◇ 関連リンク ◇◆竜を継ぐ者~黄の刻印の章(世界はエッチと愛で救われる)第一話へヒミツのカンケイ第一話へ『 M 』第一話へお兄ちゃんと私 第一話へ
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2018/08/02 00:00 |
竜を継ぐ者~黄の刻印の章(世界はエッチと愛で救われる)
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