腕時計に目をやると、時刻は午後5時を回っていた。
この時刻なら20分の急行に乗れば、6時のアニメ時間に帰宅が間に合う――滝川真吾《たきがわしんご》は、高校2年の男子高生とは思えない、可愛いい顔立ちをホッと崩した。
幼げな面相とは不釣合いな長身を包むのは、桜里《おうり》高等学園のブレザー制服――アイボリーのブレザージャケットと、黒地のタータンチェックのスラックスパンツ。襟に色のラインの入った、学校指定のワイシャツ。色は学年別で、真吾の学年は若紫――だ。
人で賑わう改札口は、もうすぐ訪れる帰宅ラッシュを彷彿とさせる。
真吾はブレザーの内ポケットから定期入れを出そうとして――目的の物が無い事に気がついた。
「あ……あれ!?」
焦りながら真吾は、サイドポケットやスラックスのポケットにも手を突っ込んで探してみる……が、見つからない。
そうだった……ブレザーの取れかけたボタンを縫いつける為に、ポケットの中身を机の中に避難させていたのを真吾は思い出した。
学校までの30分の道のりを想像しただけでゲンナリする。
「――って事は……うわぁ、学校に逆戻りかぁ……」
トホホと心で溜息をついた瞬間に、真吾は肩を叩かれた。
学校の近辺で真吾の肩を叩くような間柄の人物は、幼馴染と一人の友人くらいしか思い浮かばない。しかし友人は疾うに帰っただろうし、背丈的に幼馴染ではないと言い切れる。
誰だろうと背後の気配に振り向くと、そこにいたのは真吾よりも2歳ほど年上そうな体育会系の男性――私服だし、大学生だろうか。その顔に見覚えがあるような、ないような……えーと、誰だっけ?
178センチの真吾よりも僅かに背の高いその男性は、友好的そうな笑みを真吾に向けた。
「久しぶりだなァ、滝川。その制服……桜里高か?」
「は……はぁ。あの~……どなたでしたっけ?」
「え~、忘れちゃったのかよ!?まったく相変わらずツレないなァ……」
そう言って、何故か意味深な笑みを男性は浮かべた。
い――意味がわからない。っていうか、ツレないって何……。
若干気色の悪い響きを感じて、真吾は身体が総毛だつ思いがした。
何だ、この悪寒。心の暗部に訴えかけてくるような嫌な予感がヒシヒシとする。
見覚えが無い事もないような……。
いかにも体育会系そうな筋肉質なデカい身体と黒い短髪といい、バタ臭さを感じるその表情といい……何となく記憶には残っている気がする。
そもそも真吾に学校外の同年近辺の知り合いなど、幼馴染と妹しか存在しない。
それならば、この見覚えのある人物は学校内で出会った人物という事になる。その中で、心の暗部に訴えかけるような嫌な予感を想起させる相手となると、もう100パーセント絞り込めたようなものだ。
年上で尚且つ学校内で見知った相手となると、中学校の頃の先輩以外にいない。
真吾は可愛い顔を原型はいずこという程に、引き攣らせた。
◇
真吾は幼少期の殆どを、女性を避けて過ごしてきた経験があった。
決して女嫌いだという訳ではないが、小学校の低学年の頃から気づけば女性に触れると怖いと感じるようになっていた。
触れると何かを思い出しそうで怖い。それが恐怖の元となっていたようだが、何が原因なのか真吾自身にも理解できる記憶がない。
女性に触れさえしなければ引き起こされる事は無いので、近づかないのが最善の方法だった。
思春期を迎えた小学校5年生の中頃には、性への好奇心と共にその恐怖もいつしか薄れた。そのお陰で、触れられるまでに回復はした……が、時は既に遅し。
小学校の4年くらいだっただろうか、根も葉もない妙な噂が流れた。
真吾の女嫌いは、実はホモだからだという噂――途轍もなく酷い誹謗中傷だ。そんな事実はまるで無い。
ある時を境に唐突に起こった噂だから、何か原因があるはず。だがその原因を、真吾は突き止めるには至れなかった。
というか、それを詮索していられる状態には無かったからだ。
同じクラスというだけの子供の友情関係など儚いものだと思う。女子だけでなく、男子までもが真吾に近づかなくなってしまった。
その拍車を掛けたのは、やたらと馴れ馴れしい教師(だが男)の存在だ。
高校生になった今でも童顔で可愛い顔立ちの真吾だから、●学生ともなれば言わずもがななキュートな顔立ちをしていた。その馴れ馴れしい変態教師には、セクハラじみたスキンシップで真吾は散々悩まされたのだ。
思い出しただけでも寒気がする……真吾のトラウマ第1号は、小学校の頃の担任の先生である。その先生の所為で、ホモらしいという噂が噂で無くされたようなものだった。
●学生の頃に上がった根も葉もない噂は、小学校時代だけでは終わりを見せてはくれなかった。中学校は小学校のクラスメイトも多数在籍している訳だから、後は推して知るべしである。
「真壁先輩……」
真吾は茫然とした声で、呟いた。
「おう、思い出してくれたようだな」
真壁洋介《まかべようすけ》は嬉しそうにニヤッと笑った。
やめてくれ、気色悪い!!
胸中でおぞましさに身悶えると、身体の方も鳥肌が立っているのか、肌がピリピリとしてきた。
真壁はただ笑ったに過ぎないが、植えつけられたトラウマはそうそう払拭できるものではない。中1の頃に出会った真壁が、真吾のトラウマ第2号。
この先輩の所為で真吾は肉体を鍛える羽目に至った。
出会った頃から体育会系の部活――確かバスケ部――だった真壁は、その頃も筋肉質でガタイが良かった。
片やただのゲームオタクの真吾は、当然筋肉など無縁だ。長身の痩せ型で若干もやし系少年。運動が苦手な程では無いにしろ、スポーツマンでも無い。
力で敵うはずもない体育会系の真壁から真吾が貞操を守るには、身体を鍛えるしかない。部活など真面目にやる予定が無かったのに、合気道部にまで入って身を守る術まで鍛えた。
身体を鍛えるのは良い事なのだから、所為というよりお陰に近いのかもしれない――だがゲームしてれば幸せな真吾としては、傍迷惑でしかない。
まあ……その努力の甲斐もあって、真吾の貞操は現在も無事だ。
「ええ……正直、僕は忘れていたかったですけどね」
皮肉たっぷりに真吾が答えると、真壁は困ったような笑みを浮かべた。
「本当におまえはツレない奴だなァ。猫みたいに敵愾心丸出しだ」
「猫に例えられても、気持ち悪さしか感じないんですけど」
敵愾心丸出しなのは目の前にあんたがいるからだと、真吾は顔を顰めた。
「気は確かか?猫は可愛いだろうが」
「通じてないならもういいです……先輩は相変わらず男好きなんですか?」
早くこの場から立ち去りたい……げんなりとした表情で答えながらも、波風が立たないように適当な会話を挟んでやり過ごそうとしてしまう自分が、真吾は情けないと感じてしまう。
「あ?俺はバイだ。女の子も男の子も好きだぞ」
――は!?
この人は帰宅ラッシュ直前の駅の往来で、何を言っているんだ。
とんでもない事を臆面もなく言う真壁に、真吾はドン引いた表情で凝視した。
そこで「まぁな」と頷かれても、それはそれで恐ろしい。
バイならどうして中学時代に、散々人を付け狙ったのかと怒りを覚える。それなら女の子だけ狙っておけよ……いや、今はそんな事はどうでも良い話だ。適当な会話で流す予定だったのに、選択をミスってしまった。
「赤い顔して可愛い奴だなァ。滝川は相変わらず経験もまだなさそうだよな」
「や――やや、止めてください気色の悪い……!」
ブワーッと鳥肌の広がる感触に、真吾は腕をギュッと掴むと不快そうに肩をブルッと竦ませた。
可愛いとか言うな……!!
「おまえ……相変わらずなのな。可愛いって言われるの今も苦手か」
誰の所為だと思ってるんだと真吾は腹が立った。
真壁のような存在が真吾のコンプレックスを更に悪化させたようなものだ。|可愛い童顔《ファニーフェイス》は真吾のコンプレックスだが、先生や真壁の所為で可愛いと言われる事が本当に嫌いになった。
今の真壁の可愛いが顔を指したものでないのは真吾も承知している。だがそんな事は関係ないのだ、兎に角もう気持ちが悪い。
しかも経験もまだそうって……その通りだけど、恐怖しか感じない。
真吾は自分の貞操を再び心配して、警戒するように後ずさった。
「そんなに警戒すんなよ。俺にはもう彼女も彼氏もいるんだからさー」
彼氏だと――!?
今サラッとこの人、ヤバい事を言ったぞ……。
「そ……そうですか、お幸せに。なら僕の事はもう放って置いてくれませんか。じゃあ僕、急ぐんで……」
踵を返し、そそくさと逃げるように立ち去ろうとする真吾。
その真吾の腕を、がっしりと真壁の手が掴んだ。
気持ち悪い、触らないでくれ~~~!!
「折角会えたんだから茶でもどうだよ?」
「絶対に嫌です!遠慮します辞退します結構です!!」
「滝川は本当に面白い奴だなァ」
うわーん、この人全然意思の疎通ができないんだけど!宇宙人!?
話が通じない上に馴れ馴れしい真壁。身体を包む鳥肌は既に寒気までも生じさせて、真吾はそろそろ限界を感じた。
真吾は護身術の片手外回しで、真壁の手を振り払った。
「いい加減にして下さいよ本当に。急いでるって言ってるじゃないですか」
「そーいや滝川は合気道部だったっけ、鮮やかだな~。急ぎって口から出任せじゃないのか?」
真壁は返し技に感心するように、口笛を吹いた。
あんたみたいのから逃げる為に合気道部だったんだよ……ッ!
真吾は口から突いて出そうなのを寸でで耐えながら思った。いちいち構っていたら、付け込まれる。
「本当に用事があって急いでるんですよッ」
「悪い悪い、そんなに怒るなよ。残念だけど、しゃーないなァ」
意外とあっさり引いた真壁に、真吾は少し驚いた。
記憶では――中学校の1年まるまる、この先輩につきまとわれたのだ。あの頃の真壁は力任せにこそしては来なかったが、しつこいというか熱心というか……ちょいちょいスキンシップを混ぜてくるので、兎に角ウザいというイメージだけが根強く残っている。
数年も経てば、人も変わるのかなと真吾は思った。
彼女だけでなく彼氏もいるようだし、まあ……あの頃と違って真壁も満たされているのだろう……と思いたい。
真壁は紙片に何かをサラサラと書きながら言った。
「まあ……そのうち飯でも食おうぜ、滝川。これ俺の連絡先……じゃーな!」
真吾の手に今の紙片を無理矢理に握らせて、意外なほど爽やかに真壁は改札の奥へと消えていった。
それでも矢張り昔のトラウマからか、素直にはなれない。
だってそもそも……ちゃっかりと次回に繋げようと、連絡先を押しつけて来たではないか……!
もう最悪だと真吾は鬱屈とした気分で学校へと戻った。
◇
小説家になろう・ノクターンノベルズでも連載中です◇
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2018/07/12 00:00 |
竜を継ぐ者~黄の刻印の章(世界はエッチと愛で救われる)
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